思考

わたしが目標を達成したらあなたへ立派な十字架が

ごきげんよう

口渇がひどい。二時間前に飲んだブロン84錠のせいだろう。わたしはあまったるいアクエリアスをぐびぐびと飲みくだして画面を見つめなおした。たばこが吸いたい気もするが、起き上がるのが面倒で諦める。心臓が早鐘を打ち、繰り返しのODが身体に負担をかけていることを物語っていた。

死んだら、そっしーのことを忘れられるだろうか。死んでもなおわたしは、そっしーのことを想い続けるのだろうか。死んだことがないからわからない。忘れられるか、楽になれるのか不確定なのに死ぬのは早計なんじゃないか。それでも賭けてみたいと思ってしまうのは、わたしの頭が悪いからだろうか?

夏場にもかかわらずジリジリと鳴るデロンギ、踏み場のないほど散らかった自室、濁る視界に冴え渡る頭、ああ、早く飲んだ有象無象のクスリたちが効いてきやしないだろうか、と祈るわたし。退廃的でみじめでよごれていて、つい数時間前まで人様に夢を与える職業を志していたとは思えない光景だ。

そっしーのことを想いながら泣くことがますます増え、潮時なのだろうな、と思う。今を愛せないわたしは今を生きている意味が無いし、いい加減過去に囚われてばかりいるのも疲れたから開放されたいのだ。成長できないわたしは、ひとりぼっちで過去に抱き竦められながら人々の記憶から消えていく。

生唾を飲みこみ、夕方に見たテレビ番組の遠い記憶を呼びおこす。最近のわたしは鬱がひどく、つねに記憶が薄らとしかないようで、思いおこすにも時間がかかる。if…が歌われていたのを思い出した途端、激しい吐き気におそわれ、しかしクスリを吐き出すわけにはいかないのでどうにか押し戻した。

幕末志士のことを思い出す機会も何故だか、増えた。あの頃からの友人と思い出話をしたから、それをきっかけに、かもしれない。友人と会い幕末志士やそっしーの話をして、帰宅後に突然具合が悪くなり鬱がはげしくなったから、わたしの生殺与奪の権は幕末志士が握っているんだな、と思ってこわくなった。

身体がこわばり、カーテンの外がやけに明るくみえる。いくら夏とはいえまだ2:23だから明るいはずはないのだけれど、暗闇に慣れた虚ろな目は、光を敏感に感じとってしまう。クスリが思ったように効かず、明日からのことを考えそうになるが無理やりシャットアウトして画面の中だけに意識を集中させる。

妹に勧められたヒプノシスマイクを少し好きになった。キャラクターは碧棺左馬刻と波羅夷空却が好きだし、声優でも浅沼晋太郎さんと葉山翔太くんが好きだ、とても可愛い。ヒプマイのDVDを見ている間は鬱が落ち着くようになってきた。しかし、見終わると反動で落ち込みがひどくなり、そっしー以外を好きになっている自分を責めることしかできない。わたしにはそっしー以外を好きになる権利はない。

唇をかみしめながら天に祈りを捧げる。普段は神など信じず歩きたばこをしてしまってごめんなさい。謝るからお願いだからクスリを効かせてください。記憶を飛ばしたい、さもなくばわたしは壊れてしまう。普通の精神状態でわたしの置かれている状況に立たされたら、半分程度の人が自殺を選ぶだろう。

キヨのUndertale実況が始まった。ありがたいことにわたしにも質問箱で教えてくださった方がいた。報せをうけて見てみたが、たしかに安定感があっておもしろくて、視聴している間は表情をゆるめることができた。だがこれもまた、ヒプマイと同じなのだ。そっしー以外の原因で幸せになるな、と脳内の声が言っていて、一瞬の快楽と引き換えに呵責の念で苦しみ暗闇を彷徨うことになる。

前回ODをしてから三日しか経っておらず、うすぼんやりとしたまま再度ODに至ってしまった。記憶が細切れなのは鬱も一因だがやはりODが大きな要因だろう。眠りにつきそのまま起きたくない、起きたくない、起きたくない、と唱えてみるがそもそも眠りにつけないため願いが叶うことはなく、放った言葉は宙に浮かんで消えていく。

わたしはそっしーのまわりのごとーとかいう人やその他名前も忘れたような人など、誰ひとりとして興味が無かった。そっしーだけが好きだしそっしーだけにお金を払いたいしミルダムも邪魔だった。わたしとそっしーの間に隔たりは要らなかった。幕末志士だった時は坂ちゃんも愛していたしサポートメンバーひとりひとりに人格を見出していたのに。いつの間にか、わたしも変わってしまっていたのかもしれない。

ぐらぁりとする頭で現実のことをふと思い出すと、すべてが強制的に白紙化され、何も考えられなくなる。考えられないのに時は進んでいて、わたしはもう取り返しのつかないところにいて、先へ行くことも来た道を戻ることもできないから、ここで人生まるごと終わりにする以外の方法を見失ってしまった。何もかもわたしが判断を見誤ったせいだ。自己責任なのだ。

そっしーと腕に彫ったのに消えてしまったのは、わたしの想いが浅かったからだろうか。そんな訳は決してないとわかっているけれど、自問自答をすることで安心材料を増やしておく。誰よりも深い想いをあらわすには誰よりも大きい額のお金、それしか思いつかない。だが弱いわたしは自分にその権利が無いような気がして今、財布の紐をかたく閉じている。わたしにどうしてほしいか、そっしー本人が答えてほしい。

ODをすると饒舌になる、これは文章だが、とにかく多弁になるのだ。自殺未遂未遂をした時も5000文字ほどのブログを書いたが、体の大半の機能が朦朧としてゆく中で、頭だけがすっきり見通しが良くなっており、自らの思考を整理しやすい状態になっているのだ。ふわぁ、と欠伸をしてたばこが恋しいと考える。起き上がったらふらつくのだろうか。わたしには今この瞬間指の動きがしっかりとしていることしかわからない。

イベントをやってほしいと思っている。きっと実現はしないし、わたしが死ぬのが先であることは想像に難くない。内容まで考えてブログ記事にしたが、はたして読んでくれた人がどれだけいるのだろうか。結論から言うと、わたしがそっしーと30分間サシで話したいだけ、イベントはそれに付随するおまけに過ぎない。そっしーがもし一ミリでもわたしに死んでほしくないと思うのであれば、きちんと話さないと解決しない問題だと思うのだ。

時計の針は二本とも3を指している。3:15になってしまった。依然としてなんの音沙汰もないままで、クスリはわたしのお腹の中でしずかに息をひそめているのだろうか。物心ついた時から頭痛持ちだったし、厨二病でない時が無かったから、つねになにかしらに憂鬱を抱えていた。今も、憂鬱がわたしを喰い殺してしまいそうなほどだ。

現実的に考えればそっしーはわたしが死んでもまったく気にも留めないだろう。「呪う」と繰り返し唱えていたわたしだが、自分に真にそっしーを呪う力があるとは思っていない。ただ少しだけでも彼の頭の中にわたしを居座らせ、死ぬ時に何らかの方法で彼に報せ、そうしてどうにか感情を揺さぶろうとしていた、力づくの呪いなのだ。彼の感情を何かしら動かすことがわたしの生きる意味、ひいては死ぬ意味になってしまっていて、これではもう自分の人生とは呼べない気さえしてくる。

不安が募ってきた。このまま記憶を保持して朝を迎えてしまったら。わたしはまた現実と向き合い、社交辞令を考え、ほうぼうに詫びを入れ、躁鬱とボーダーのせいでこれまでにない迷惑を掛けたことを思い知ることになる。正気で受け止められる気がしないから100錠ものクスリを流し込んだのに、わたしの身体は一体全体どうなっているんだろうか。 機能不全?だったらとっとと死を迎えさせてはくれないものか。

自分の人生を他人に委ねてしまうことは、楽でもあり苦痛をともなうことでもある。幕末志士とそっしーに人生を委ねた結果、2016-18年はなにも考えず努力せずただ彼らを摂取して生きていればよかったが、苦労をせずに来たバチが当たったかのようにそれから先は暗黒時代だった。絶えずそっしーに頭を支配され続け、ほかのモノ、コト、ヒトを好きになることを自らが許さず制限し続け、過去の栄光に縋ることでしか命を繋げなくなり、そんな状態なら死んだ方がマシだからこの世からさようなら。

ぐるぐるとまわる思考、躍る指先、それなのに今言葉を発せよと言われても発せないかもしれない。振り絞って残りカスみたいになった声でもう嫌だ、と言ってみた。ふりふりとりぼんとマイメロがたっぷりの白黒ピンクの服を着て、地元では浮くけれど、新宿に一歩踏み出せば掃いて捨てるほど見かける、そんな量産型を絵に描いたような姿のわたし。ブロンをODしてリストアームレッグカットをして日常生活では心配されるけれど病院では散見される、メンヘラを絵に描いたような姿のわたし。飽き飽きしてしまった。何者にもなれない自分に。

そっしーがオワコンと言われようとも、つまらない、炎上とサジェストに出ようとも、何故か今になってスーパーチャットを解放しようとも、わたしには関係ない。あの頃のそっしーとも関係ない。わたしはずっと、あの頃のそっしーを今のそっしーに映し出して見ているだけだ。二度と帰ってこない人を待ち続けるハチ公のように、わたしはそっしーを見ることをやめられない。もしかしたら、が起こった時のために。

アイドルになりたかった。インターネットアイドルでも、リアルアイドルでも良かった。もう一度チャンスを貰えて、その時は躁で、二つ返事でOKした。でもわたしは、アイドルには向いていなかった、というか生きるのに向いていなかったんだと思う。鬱に一度入ってしまえば全ての事象が向かい風に感じられ、悲鳴をあげながら逃げ出した。誰かの理想になろうなんて、自分ひとりの人生を生きることすらままならないわたしには到底無理に決まっていた。

そっしーのせいで死ぬ、と何度も言った。好きにさせた責任を取れ、とも言った。本気でそう思っているとしたら頭のおかしい人間だろう。しかし本気で思っているのだ、わたしはいつからか常人とはかけ離れた思考回路の持ち主になり、そしてそれは決して良い方向ではなかったから。どうにかして責任を取ってもらいたい。わたしが愛を貫き通して死ぬんだから、そっしーもそれ相応、とまでは行かなくともわたしが納得できる程度の十字架を背負ってほしい。

このようすで行くと多少鼓動が早まり目が冴えた程度で、記憶を飛ばすことなどなくぴんぴんとしたまま翌朝を迎えてしまうという光景がありありとまぶたに浮かび、それなのにと言うべきか、当然と言うべきか、クスリが効いていないから飛び降りて全てをリセットするには理性が働きすぎていて、くるしくて悔しくて恐ろしくて焦って無力感に苛まれ冷や汗が止まらない。ごくり、とまたアクエリアスが減った。

そっしーのファンが羨ましくて憎らしくて仕方がない。なんの蟠りもなく今の彼を応援して、わたしのような過去に囚われた醜い人間を軽蔑しブロックで視界から閉め出すような、そんな清々しいファンに、わたしもなりたかった。願わくばそっしーとともに長生きしたかった。彼のことを愛しているけれどこんなストーカーじみた文章を書きたくて応援していたわけではない。それなのに、今口を開けば呪詛しか出てこない。

ああ、と天を仰ぐ。この世に生を受けて21年、何度死にたいと願ったことか。在否が不明な神に数多くの願いを実現してもらったが、この願いだけはとんと聞き入れてもらえない。22歳になる前に死にたい、と零しては去年も同じようなことを言っていた自分が思い出され呆れかえる。毎年これを繰り返したらただの狼少女、やがて、あるいは既に、少女と言える年齢ではなくなってしまう。

嗤われているのは知っている。もしかしたらそっしー本人にも悪い意味で認知されているかもしれない。でもわたしはわたしの精一杯を生きているし、死んだとしても生きた証だけは残しておきたいのだ。そっしーの脳内にも刻みつけてやりたいのだ。どんな話題も最終的にはここに着地するが、そっしーにわたしのことを忘れさせたくない。さもなくば、ただでさえ希少なわたしの短い人生の価値が、本当にゼロになってしまう。

5000文字に到達しようという時、物音で我に返る。わたしはインターネットの中でだけ生きて手を震わせながら誰に向けるでもない文章をしたため、自殺願望を白日の下に晒し、たった今何もかもを失くそうとしていて、構ってちゃんの末期症状を呈し、急に発狂したり泣き出したりするようなかなり重度の精神病患者なのだ。日本でも安楽死制度を採り入れ、そして精神病患者も対象にしてはくれないだろうか。苦痛は身体障害者と同等だと思うのだが。

そっしー!そっしー!そっしー!そっしー!そっしー!とはわたしのミルダムの自己紹介文だが、そのとおりわたしの自己はそっしーに取って代わられている。もちろんわたしやそっしーが望んでそうした訳ではないが、結果的にそうなっているからこれは正しい紹介文だろう。ありがたいことに、ツイッターのdmや質問箱を頂く機会があるが、わたし個人の考えなどはとうに消え去り、そっしーに依った思考以外死んでいる。まさに脳死状態なのだ。

明るくなるカーテンの外を見やり、またひとつため息を漏らす。くるしいまま朝を迎えるのは何億回目か。そんな馬鹿げた思考が頭を出すくらいに、わたしは衰弱しきっていた。こうして何もせず過ごし、両親が出掛けた隙にふらっとゆうメンタルクリニックで適当なクスリをもらえば景気づいてふわっと逝けるんじゃないかとか、ぼんやり考えたがそれ以上の考え事が大きすぎて集中できない。

最期の瞬間までそっしーと共にありたいが、一刻も早く忘れたくて思い出すだけで涙が止まらなくなるので、矛盾している。わたしはいつも矛盾の塊のような存在で、そっしーを愛しているけれど愛せていないのもその矛盾のうちのひとつだった。そっしーがもし今わたしの視界からいなくなったら、わたしはどうするんだろうか?そうなるのがこわいからその前に死んでしまおうという気持ちも、率直に言えばある。

大きくわけるとふたつの話題、一段落おきに自分とそっしーに分かれるようにしているはずだが隙自語がはげしい、このブログ記事をいつまでもくだらなく引っ張っても仕方ないとは思う。書き始めてから既に3時間ほどが経過している。早朝の明るさをみせる窓の外は、わたしをさらに憂鬱にさせるには十分で、現実逃避のためにもう少しこの記事を長引かせることが必要そうだ。

友人はイベントが多数ある実況者を、所謂「推し」ていた。全力を尽くして応援したり、それによって多少人よりいい思いをしたり、楽しそうだった。わたしもそっしーのことを「推し」ている気持ちでいた。しかしそれはどうやら間違っていたようで、俗世の言葉ではわたしの愛し方はあらわしきれないようだった。そう言うとまるで高尚な感情のように聞こえるが、ただただ濁ってどす黒くて、言葉であらわすには醜すぎるというだけだ。

緊張からくる凝りで目以外の全身すべてがしびれている気がする。もう来つつあるが、朝が来るのが怖い。どこか過去にびゅーんと飛んで、何か最初からやり直したい。わたしは人生のだいぶ初めの方で過誤を犯していたようだ。いや、なにかひとつ願いが叶うのならば、わたしなど生まれていなかったことにしてほしい。初めから無ければ、誰も悲しむことも苦労することもない。元も子もない話だが、また真理でもあるのだ。

りあこに憧れていた時代があった。きらきらふわふわしててピンク色で、毎日彼のことを思っては枕元で膝をついて星を眺める、そんな想像をしていた。そっしーに出会う前は、りあこごっこをして楽しんでいた。出会ってしまって、本当の地獄を知った。あるいはりあこを軽んじていたわたしへの天誅かもしれない。くるしくて自分ひとりで戦うしかないのにひとりではどう頑張っても抜け出せなくて次第に視界も思考も行動も狭まり、読んで字の如く死に至る。そっしーのために死ぬからそっしーはわたしのために何をしてくれる?と、理性のタガが外れたらきっと聞いてしまう。

ふと、起き上がれないことに気づいて不便だなぁと舌打ちをした。クスリを飲んで制限されたいのは記憶の方なのに、身体を制限してどうするんだと脳内の何者かに向かって問いかけるが当然の如く返事はない。聴覚も遠のいているような気がするし、あまり想定していない、そして必要のない部分に支障が出まくっている。記憶が飛んでいるつもりだったから、親が起きてきたらあーとかうーとか言っていればいいやと思っていたのに、このままでは無駄にはっきりした意識を活用せざるを得なくなってしまう。説明するのが面倒くさいし、昨日のうちに飛び降りてしまいたかったと頭を掻きむしろうとするが、鈍重になっている身体のせいでかすかに身じろぎをするだけに終わった。

愛していた、し、愛しているのかもしれない。求められれば今の彼にだって、他の誰よりもお金を払える自信がある。それは愛とよべるのではないだろうか。しかし求められれば、というのが肝で、そっしーがわたしのことを拒絶しているのか歓迎しているのか、はたまた何も思っていないのか知りたい。拒絶、もしくは何も思っていないとしたらわたしは大人しく死ぬ。歓迎されているのなら、最期の一年間くらい、愛を投げ続けてから死ぬ。どちらにせよ死ぬのだが、そしてそっしーからの回答が得られることは無いので、やはり死ぬ。死しか待っていない、輝かしい未来だ。

寝返りをうってみると、手足が定位置から動かなくなっていることに気づいた。だから身体的支障はもういいってば、と九分九厘諦めつつも記憶を飛ばしたい旨お祈りしてみる。現実が怖くなったのはいつからだろうか。気づけば現実逃避ばかりして、立ちはだかる困難に向き合ってこなかった。そのツケがまわってきて死にたいと思ってもなかなか死ねない今の状態があるのかもしれない。いくらでも償うから楽にしてほしい。

そっしーについてどれだけ文を綴っても未だに書くことがあるのが不思議だが、愛の重さを考えたら相応なのかもしれない。この際だからずっと思っていたことを言ってしまうが、「俺だけを見ろ」はわたしのためのセリフだから、他人が横取りして黄色い声を上げないでほしい。きれいな部屋に飾ってある大切な宝物、それを他人が土足で踏み入りきたない手で奪い取っていくような錯覚をおぼえ気分が悪くなった。わたしは反応されるだけのことをして反応されたまでで、何もしていない人たちが平気な顔してキャーキャー言うのは奇態だなぁと思っていた。

トイレに行きたいような気もする。しかし脳と目だまと指先以外が機能していない状態のわたしは、催していても無視することしかできないし、逆に口渇の限界を迎えていても耐えることしかできない。これは天上人が何も頑張れないわたしに与えた苦行なのかもしれない。わたしはいつも、自分の選んだ道で野ばらの棘に引っかかり、スズメバチに刺され、泣きながら後戻りしてきた。しかしもう戻る道はない。進む道もない。真の終わりが近づいているのだ。

そっしーがわたしのブログを読んだらどう思うだろうか。わたしが彼の立場になって考えてみると、単純にストーカーじみていて気持ち悪い、文字通り呪われそうで怖い、などマイナスな感情しか出てこない。そっしーもそう考えているんだろうか?申し訳ないなぁ、と思うけど、同時に自分の責任でしょ?とも思う。顔などは出していないとはいえ、表に出る職業を選んだ時点である程度仕方のないことだろう。もっとも、わたしのようにその人を拠り所として自殺未遂をしたり自殺を示唆したブログを濫造するような人間があらわれることは稀だろうが。

やわらかな、そして絶望的な光が射す中、8000文字を超え筆が乗り、しかし感情は憂愁の淵に沈む。アイドルはわたしには早かった、と同時に生きることもわたしには早かったと思い知らされたこの現実を恨もうとするがわたしには力不足で、今日もわたしの身のまわり以外は何ひとつ変わらず歯車は回り続ける。次人身事故をおこすのはわたしかもしれないから先に謝っておこう、などと悪い思考が首を擡げ、押し潰そうとするが反発力が強く言うことを聞かない。

どれほど目立たない一介のリスナーであろうと、気にも留められない群れの一員であろうと、その当時の「今」である幕末志士を心底真っ直ぐに邪魔されず愛して、毎日好きが更新され幸せな気持ちで満たされていたあの頃に戻れるのならば、まったく構わない。むしろ、わたしにあの頃を返してほしい。どこへ奪い去ってしまったのか、と責任者がいたら問い詰めたい。どこかで失くしてしまったあの頃の幕末志士のピースを見つけるためなら、わたしはいくらだって頑張れる。確実に戻ってくる保証があるのなら、この最悪な世界を生きてもいいとすら思える。

家族が目を覚まし始め、絶望に打ちひしがれていたわたしはさらに追い討ちをかけられる。また今日という一日が始まってしまう、怖いから、嫌だから、時を止めなきゃ、と考えるばかりで、そして生憎そんな能力は持ち合わせていないから、ただ焦燥感に駆られて自分をまた痛めつけてしまう。自傷行為は得意なのに、自分以外から与えられる痛みにひどく弱いのは何故だろう。その弱さのせいでたくさんのものを手放してきた。毎日、物事が思い通りに進んでくれと念じているのに、なにひとつ思い通りにいかないまま限界に達してしまった。

そっしーのファンで、わたし以上にそっしーのことを考えている時間が長い人はいるのだろうか。いや、わたしはファンとは呼べないから正しくはそっしーの視聴者全体のことだけれど、便宜的にファンと呼ばせてもらう。わたしはそっしーに縛り付けられている自覚があるから、まだ早期に発見できたのかもしれないと思ったりもするが、初期症状で死んでたまるかという気もする。ファンが今現在どのくらいいるのかは知らないが、狭いコミュニティで何人も死者が出たらさすがにまずいだろう。わたし以上に重篤な人はいない、と思いたい。死ぬことで想いが深いことの証明にもなるのなら一石二鳥ではないか、と考えてしまう。

あま〜い後味が残るCCレモンを飲みこみ、口にするんじゃなかったと顔を顰める。こんなにあまくてべたべたする夏の悪いところを詰め込んだような飲み物を飲むなら、口渇で死んだほうがましだ。それは嘘だけれど、一瞬そんな思考が頭をよぎってしまうくらいには不味くて、気持ち悪さに拍車がかかった。今日一日は動けそうにないからたばこも諦めた方がいいね、と自らに言い聞かせ、たばこは我慢するからそろそろ何か良いことおこらなきゃ不公平だ、との返答をうけ苦笑しては終着点も見つからず、ただ指を動かして徒らにスクロールバーを縮める。

幕末志士は世間的に見たらかなり有名な実況者だし、わたしは距離が遠くていいから好きでいたかったのに、そっしーと言っても極わずかな人にしか伝わらず、大昔に少しお金を落としただけのわたしが何かを発言すれば注目され、アンチスレばかり目立つような現状は、さてどうしたものか。どうにもできないしどうもしなくていいんだろう。わたしだって本質はどうでもいい。でも、変わってしまったというその事実が寂しくてくるしかった。

夜はあんなにもしずかでうつくしくわたしを見守ってくれるのに、朝と昼は邪悪な笑みでもって襲いかかってくるので、怖くて仕方がない。怯えていたら母が自室に入ってきて、即、服薬が明るみに出た。たちまち父も駆けつけ、OD後恒例となった質疑応答が始まる。しかしわたしの回答はすべて死にたいという一点に落ち着くのでその一問一答はあまり意味がなく、わたしは両親の慌ただしいようすについていけずに膝を抱えて座っていた。

過去のそっしーだけを愛して生きていくにはきっと長すぎる、この先の人生。あめ玉みたいに少しずつでも必ずいつかは溶けてしまうから、その時が来るのが怖すぎて、わたしは余裕をもって念のため、早めにあめ玉を飲み込んでしまう選択をした。窒息死。それが正しい判断なのかはわからないけれど、あめ玉がなくなり無味乾燥な世界で生きていくよりはくるしくないだろう、そう願って。

 

病院についた。わたしとそっしーの物語がめぐり逢うとき。今回こうして希死念慮が極限まで高まりODをしたことによって、生きるために何が必要なのか考える機会を得た。もちろん根底にある死にたい気持ちが消えることはない。それでも、仕事も学校も全部やめてしまい、散歩とか運動をしてそっしーにスーパーチャットを投げるだけの生活をしたら、ほんの少しだけ命を長持ちさせることができるかもしれない。母にそう説くと今する話ではない、と一蹴された。

救急外来に通されたわたしはのべつまくなしに喋り続け、ただならぬ様相を呈していたようだ。笑止千万だがあっという間に人生7度目の入院が決まってしまった。入院時の担当M先生が丁度当直医で、こんな格好で恥ずかしいなぁと場違いなことを思ったりしている間にいろいろな質問をされ、わたしの死にたさのベールが剥がされてゆく。そっしーにスーパーチャットをしないと、とうわごとのように呟き続けるわたしは、傍から見たら立派な犯罪者予備軍だろう。

今回も医療保護入院になりそうだが、何かしらの病院の都合で即日入院には至らなかった。思い残したことは特にないが、今日一日でたばこの吸い溜めをしたい。大好きな寿司も食べられないが今はブロンで食欲が減退しているためまったく欲が湧いてこない。異性との交友関係も、たとえすべてがリセットされたとしてもそっしー以外に執着しなくなったわたしにとってまったく苦痛ではない。

今日のODで死ねはしなかったが、死ぬことに次いですっきりとする解決法を採れた気がする。もっとも今わたしの身体にクスリがまわっているからこの思考回路になるのであって、健全なサイクルに戻った時に同じように感じるとは考え難い、そして家族からすると二度と採ってほしくない選択肢であることは間違いない。

血走った目で画面を見つめ続けとうとう10時間あまりが経過した。生きるか死ぬかを決める権利は未だわたし以外の手にある。いつか自分の命の手綱を握れる日が来るのだろうか。すこしやつれてみえる母がベッドの傍らで船を漕いでいて、俄に申し訳なくなったわたしは指を止めて、たった24時間、入院までの大切な時間を母と過ごすことに決めた。

それでは、ごきげんよう