ジューンブライド
変化がこわいのは、いつからだろうか。
わたしは何故だか、大学に入学するまでの記憶がひどく曖昧だ。
そこからの記憶も途切れ途切れだし、常人には備わっているはずの能力がないのか物覚えがすごくわるい。
発達障害の一種なのかもしれないけれど、原因はあんまり重要ではなくて、大切なのは18か19歳くらい、大学通学のためにひとり暮らしをした時期から何かが変わることに対して異様に恐怖をおぼえる、ということ。
その「何か」は、いつもわたしの愛するものたちだ。
思えば2018年4月15日と2019年9月30日、大好きなアイドルグループから大好きなメンバーが2人も抜けて、原型をとどめなくなった経験があるから、きっかけはその時だったのかもしれない。
すべての事象には終わりがあるんだなと、成人を目前に控えて初めて学んだ。
たとえば初めて付き合った彼氏や、すべて(それは本当にすべてで命すらも)懸けて愛していたはずの活動者でさえも、飽きてしまったのかあるいは一種の卒業なのかわからないけれど、今のわたしには過去のものに過ぎない。
当時は永遠だと信じていたし、離れる時が来るならそれがわたしの死ぬ時だって、そう思っていた。
いや、実際には心のどこかで永遠なんて無いことはわかっていたけれど、認めるのがこわくて現実を見ないようにして、ひたすらにその物事に傾倒していた。
好きだったものを嫌いになるのは当たり前にこわいけれど、一番こわいのは無関心になることだと思う。
忘れてしまいたくなくて、慣れきった甘ったるい幸せが続くことだけを祈って、それでも時間は残酷に過ぎていくからいつか必ず終わりが来る。
変化を求めて目まぐるしく前進を続ける人間をみると、ぜったいに相容れない性質だから畏怖の念を抱く。
実はわたしも変化なんてこわくなくなりたいし、成長できる人間でありたいなと思うけれど、その感情とは裏腹にわたしの向上心みたいなものにはブレーキがかかっていて、今の生ぬるい幸せだけを享受して生きろと命令されているような気さえする。
たぶんブレーキをかけているのも命令しているのも自分自身で、わたしがもっと強い人間だったらそんなもの切り離して破壊することができるんだけれど、わたしはちっぽけで弱い存在だから。
「今のわたし」が愛している女の子と、わたしはいろいろな話をする。
女の子はわたしと似ているのか、営業方法として同調してくれているだけなのかはわからないが、今がこわいという話をするといつも斟酌してくれる。
それどころか女の子自身も変化がこわいと言い、今この瞬間が恒久的に継続することを祈るのだ。
わたしにとって思考に同意してもらえることは安心に繋がる。
しかし安心したからと言ってこの日常が未来永劫続くわけではないから結局問題は未解決で、時たま底なしの不安感に襲われて呑み込まれそうになる。
噛み砕いて言えば「好きな子のことを変わらず一生好きでいたいし会えなくなんてなりたくない」。これに尽きる。
わたしの場合それに付随して周りの環境すらも変わってほしくないと願ってしまう、欲張りだから。
何もかもが変わらなかったらいつかすべてが同時に色褪せてみんな一緒に死ねる気がして、わたしは一人がこわいから、それはとても魅力的に感じた。
おとなになるといろんなものを忘れたり、捨てたり、また出会ったりを繰り返して鈍感になってしまう。
でもわたしは、おとなになりきれていない22歳の今感じているこの恐怖を、忘れてしまいたいんだけどなくしたくない。
根拠は無いけれど刹那的な「いま」が至上の幸せだからこそこう感じるのかもしれないし、変化になんの感情も抱かないよりは恐れていた方がまだ、「いま」だった、未来には過去になるものたちのことを大切に、たとえ記憶の片隅だったとしても覚えていられるような気がするから。
いつの日か消えてしまわないように
わたし この瞬間を大切にするの。