思考

わたしの思考、日記。

今朝、とは言ってもほぼ昼だったけれど、起きてから一度コンビニにたばこを買いに行っただけで、ほぼ何も口にせずひたすら紫煙をくゆらせながらツイッターYouTubeを見たりブログを書いたりしていたら日付が変わってしまった。

わたしはこういう、社会の歯車から外れたような堕落的な一日を送るのが、わりと好きだ。

世間一般的に良いとされている生活は、朝早く起きて会社なり学校へ行き、帰宅して家事をこなし、三食をきちんと口にし、もちろんたばこなんか吸わない、そんな感じ。

それを全部破ってひたすら肺を痛めつけて胃の中をからっぽにして、なーんにもせずにベッドの上で自分の好きな音楽だけを聴く自分にあるいは酔っているのかもしれない。

だんだん自室の空気が淀んでいくのを感じるし空腹で悪心がしてくるが、それが心地良い。

わたしはずっと、不摂生でガリガリで社会不適合で、大森靖子の音楽と南条あやの日記から栄養を吸収してるみたいな女の子になりたいんだ。

23歳も目前だし、いつまで厨二病なんだろうと考える時もあるけれど、心の奥底からの憧れには逆らえない。

不健康なことをしている自分が可愛くて仕方なくてもっともっともっと、浮世離れした存在になりたいし、過去の痩せている自分の写真を見返してはこれになりたいと嘆息する日々だ。

率直に言ってしまえばわたしは何者でもない。分類するとしたらただのガチ恋アイドルオタク。それだけ。

でも何かになりたくて、特別な存在になりたくてずっと足掻いている。

誰かの特別な存在じゃなくて、わたし一人しかいなくても成立する特別が欲しい。

人それぞれ欲しい「特別」は違うだろうけど、わたしの場合それは曖昧なものだ、しかしわたしの中では定義が確立されていて、名前はつけられなくてもそういう人はインターネットにいたりするから、憧憬と嫉妬でよくわからない感情になったりする。

いわばメンヘラの星、みたいな。わたしはメンヘラじゃない自分にアイデンティティが無いようでこわいし、最近のわたしが少し穏やかになっている事実に恐ろしくなる。

きょうZOCの曲を聴いていたら、メンヘラ全盛期のわたしはこの曲たちを愛していたな、と思い出され成長なのか退化なのか穏やかになってしまった自分に気づいて時を巻き戻したい気持ちになった。

法律上ではとっくのとうに成人しているけれど、大人になるのがこわくて仕方ないんだ、ずっと精神科閉鎖病棟の止められた(ような気がする)時間の中で生きていきたい。

死ぬことにも憧れを抱いているから、わたしが身の回りの人間の中でも特に死に近そうと評されていたことにある種の誇りを持っていたし、それでもこの歳になるまで死ねなかったということは結局わたしって凡人なんだな、とか思ったりする。

昔好きだった音楽に耳を傾けてみると、 当時の感情や心境、状況をありありと思い出すことができる。

椎名もたの少女Aを聴きながら、オーバードーズのせいで眠れなかった夏の朝に清々しい気持ちでベランダに出てグローを吸っていたな、とか。

アーバンギャルドの平成死亡遊戯を聴きながら、真夜中自室のベッドで無心でリストカットをしたな、とか。

ZOCのAGE OF ZOCを聴きながら、オーバードーズ明けに昼間のセンター街を無敵感に満ち溢れて歩いたな、とか。

妙にメンヘラの香りが漂うエピソードが多いのに、わたしがその時期の自分をどれだけ理想化しているかがあらわれていてなんだか恥ずかしい。

でもわたしはもう、あの頃には戻れない。

友達ができてしまって孤独から抜け出したわたしがいま同じことをしたら迷惑をかけるし、好きな子にも会えなくなるのだ。

守るべきものがあると人は弱くなる、というのは本当だと思う。

わたしには守るべきものがたくさんできてしまったから自分を貫けなくなって脆くなってしまった、いや、正しくは強くなったのかもしれないけれど、成長したくも強くもなりたくなかったし変化するのがこわかったわたしにとってこれは不幸なことなんだと思う。

つまんない人間になっちゃったな。