思考

死にたい病

わたしはずっと死にたい。

あるとき、気づいた頃には死にたかった。

なんで死にたいのか、挙げればいくらでも出てくるしツイッターにはこれまで嫌というほど綴っている。

わたしにとっては、どう考えても生きるメリットよりも死ぬメリットの方が大きいのだ。

 

死にたくて何度も自殺未遂をしたし、リストカットも中学生の頃からしてきたし、現実を忘れたくて用法用量を守らない薬の飲み方をしたことも幾度となくある。精神科と心療内科病棟に入院も7回した。

それでもまだ、わたしは死ねないのだ。

 

世の中には死にたい人の割合より、生きたい人もしくは生きたくはないけど死にたくもない人の割合の方が高い。

だから死にたい人は異端で、メンヘラと呼ばれてしまう。

でも死にたい人にもそれぞれ理由があってそれぞれの背景があって、一概にメンヘラと括るのもどうかと思う。まあ当人が言うことでは無いのかもしれないが。そしてメンヘラと括った方が楽なのもわかるが。

 

ここでわたしが今までに試した(試そうとした)自殺未遂、また派手な自傷行為を挙げてみる。特に意味は無いです。

・飛び降り→低いところからだったので腰を痛めて終わる

・首吊り、シンナーを吸う→やる前にロープとシンナーを親に没収され未遂

・服薬→処方薬市販薬問わず無限に試した。市販薬は致死量にも達していたけれど死ななかった

・縦幅は腕の裏側全部、深さは1センチくらいまでリストカット→バケツ一杯分くらい血が溜まったけど貧血気味くらい

・太ももを深さ2センチくらい切る→一ヶ月血が止まらなかったけど特に何もなし

はい。あとは細々したものしかないです、傷だらけ恥だらけですが生きてるのでマイナス。

 

わたしはよく人に「なんでそんなに恵まれているのに」「それ以上何を望むの?」と言われることがある。自分のことと言うより、周りの環境のこと。

でも、恵まれているからこそ自分の不甲斐なさにひどく落ち込んで無力さを痛感して苦しくなる。その気持ちがわかるのは恵まれている人だけだと思う。

もちろん贅沢病なのはわかっているが、そう思ってしまうのだから仕方ない。

 

また、HSPで考えすぎ、感じ取りすぎな部分があり、無駄なことまで詳細に受け止めてしまう。その結果人と関わることも下手だったり、関わりすぎてしまったあとに傷ついたり、する。

うつ病というより境界性人格障害だと思っている。再度入院しないと診断は下りないらしいのでまだ診断はされていないのだが、おおよそその辺だろう。

 

幼い頃、父に必要以上に押さえつけられたまに暴力を振るわれることがあった。そこまで酷いものではなかったが、痣ができることもあるくらいだった。

父に怒られるのが何より怖くて、意見が言えなくなって、自分を抑えるようになっていた。特定の人の前以外ではストレスを溜め込むようになっていた。

その反動か、はたまたダイエットが行き過ぎたためかは分からないが、摂食障害になった。

過食して吐く、所謂過食嘔吐が5年間治らない。今は過食というほどではなくなったが食べた後に吐くくせが治らなくて吐かないと自分を保てない、苦しいような気がしてならない。

 

わたしはいつも死ぬと言っておいて死なない。

周りの人にはそろそろ呆れられていると思う。

でも毎回本気で死にたいと思っているのだ。生きているのがつらくて仕方ない。

楽しいことも、確かにある。

しかしわたしは人より不器用で考えすぎてそれなのに何も頑張れないからすべてが向かい風に感じて生きていくだけでつらいのだ、解放してほしいのだ。

 

でもわたしは羞恥心がないからかな?ぜったいに生きた証を残して死にたい。

わたしはこんなことを考えていたんだ、って後世に伝えたい。

それを見た、読んだひとたちがどう思うかは分からないし、わたしのことなんて忘れてしまうかもしれないけど、少しでも記憶の片隅に置いてくれたら生きた価値があったと思えるかもしれない。

 

死後の世界を見たいと思う。

死後の自分がいる世界ではなく、死後の自分がいない、いつも通りにまわっている世界を。

でもわたしがいないから、すこしは人々が悲しんでくれているのかもしれない世界を。

悲しんでくれる人が少しでも増えるように生きたい。何かを伝えられるように生きたい。何かを残せるように生きたい。

世のため人のためになりたい、とかじゃない。

わたしは生きてたんだ!って思い知らせてやりたい、どうせ生まれてしまったなら。

 

母に、くそばばあ!生んでくれなんて頼んでねえよ!と叫んだことがある。

それは、くそばばあ、以外本心だ。

正直生んでほしい、生まれてきてよかったと思ったことは無い。まあ天界というものがあったのなら、そしてわたしが生まれてくることを自ら選んだのならなんかごめん、だけどさ、覚えてないし意思があったわけではないから。

幸せな思いいっぱいできたけどそれとは逆に嫌な思い苦しい思いつらい思いも数数えきれないくらいして、それでも成長できなくて、たぶんわたしは人間に向いてなかったんだと思う。

 

5年間ニート生活をしていてそろそろ危機感を覚えるかと思いきや、死にたいと毎日思って暇を潰すくらいしかできなくて、何も頑張れなくて、わたしって本当に生きている価値がないと思う。

逆にわたしみたいな人間に生きている価値があると思いますか?

先日、母と妹に自己肯定感が低いことについて怒られたけれど、わたしは間違っていないと思う。

わたしは生きるべきじゃないし、生まれてくるべきじゃなかった。

生まれたからには生きた証を残したいけれど、できれば生まれたくなかったよ。今死んだら家族とか友達少しは悲しませるもんね。ごめんね。

 

病気の人とか友達を早くに亡くした人に、死ぬなんて言うもんじゃないとかお前は死ぬなとか言われることあるけど、じゃあわたしの苦しみはどうすればいいんですか?と問いたくなる。

責任とってくれますか?解決してくれますか?わたしの死にたさを他人が勝手に否定すんなよ。

所詮他人だから他人のことはわたしもどうでもいいです。ごめんなさい。

 

死ぬ時は可愛く死にたいってわがままだから、ちゃんとメイクしようと思うんだけど、死にたい時にそんな余裕なくてこの間ホームに4時間居た時は二日間お風呂入ってなかった。そんなものだ。

23歳になる前に死ねますよーに。